アメリカ映画界最大のスター、スティーヴ・マックィーンがすべてを捧げ、事実上[製作][脚本][監督][主演]の4役をこなして生涯の夢を実現させた空前の超大作カーレース映画『栄光のル・マン』(1971年)。その伝説的な制作過程を丹念に描いたドキュメンタリー映画最新作が本作『スティーヴ・マックィーン/その男とル・マン』だ。毎年6月、パリ南西約200キロの小都市ル・マンで開催、平均時速240キロ、最高360キロの猛スピードで展開する世界最大のレース≪ル・マン24時間≫の壮絶な戦いを、プライベートでもレースに参戦するなど熱狂的なクルマ好きだったマックィーンは最もオーセンティックなレース映画を目指して、ほぼドキュメンタリーに近い描写を試みた。しかし映画としてのドラマ要素が必須ととらえたジョン・スタージェス監督と対立、スタージェスは降板し、途中からリー・H・カッツィンに監督が交代。さらに大幅な予算超過と制作の遅れからマックィーンは製作会社であるシネマ・センター・フィルムズ社からプロデュース権をはく奪され、自身の制作プロ<ソーラー・プロダクション>も解散するはめになるなど、そのキャリアに大きなダメージを与えた。マックィーンが人生のすべてを賭けて完成にこぎつけた『栄光のル・マン』は、90台ものパナビジョン・カメラを駆使したすさまじい迫力と臨場感、スピードの極限に命を燃やす男たち、孤独な爆走の中に芽生える友情など、最小限の台詞とともに華麗な男のロマンを描く感動作となったが、世界的に興行成績は惨敗に終わった。しかし日本だけは1971年度の洋画配給収入第三位を記録する大ヒットとなり、数年後にはリバイバル公開を行われ、『ゲッタウェイ』や『パピヨン』などとともにマックィーンの代表作の一つとして迎えられた。本作は500箱に及ぶ新たに発見された撮影時の未使用映像、マックィーンのボイス・レコーディング、そして関係者のだれもが行方不明となって現存しないと思っていた、オリジナルのラッシュ試写版の本編プリントが奇跡的に発掘され、当時の関係者のインタビューとともに、マックィーンの人生最大のチャレンジとなった超大作『栄光のル・マン』の顛末を振り返る。


【アーカイヴ素材の発掘】
約40年間に渡り、『栄光のル・マン』の何百万フィートにおよぶ撮影素材の行方はまさに宝を掘り当てるかのごとく、関係者の間で伝説と化していた。約6か月におよぶラッシュやアウトテイクの映像素材は本当に現存するのか?ニールやチャド・マックィーンなどの家族でさえ、世に存在しないと思い込んでいたほどだった。ある情報ではニュージャージーの倉庫に眠っているのではという話、または南米の個人コレクターが所有しているのでは、という情報もあったが、大方の見方としては、当時スティーヴ・マックィーン本人が完成した映画の原版以外はすべて廃棄するよう指示をだしていた、というものだった。しかしある晩、1971年の春に作品の編集が行われたロンドンのスタジオで何らかの素材らしきものがある、との連絡があった。3日後の連絡で、映画撮影用の防音設備を施したサウンドステージの下に埃をかぶった400~600箱もの物体が発見され、そのすべての背表紙には“Le Mans”と表記されているという。すべてフィルムのため、一本づつ中身をデジタイズしなければ内容の確認は出来なかったが、それらはまさに当時の撮影素材そのものであった。さらに『栄光のル・マン』は完全にクローズドな環境での撮影で、メイキング撮影班も立ち入りを許されなかった現場であったため、メイキング映像そのものが存在していないはずだった。しかしパリのフィルム倉庫Song Of Le Mansにてまさかのメイキング映像が発見、また当時のソーラー・プロのメンバーだったスタッフが個人的に撮影した素材が約40年間、カリフォルニアの自宅に放置されていたことも判明。そして最も衝撃的だったのが撮影にマックィーンがリクルートしたレースドライバーが個人で撮影した8mmフィルムが存在したこと。これらの発掘された素材は本映画に随所に使用されている。